大山旭町会について

大山旭町会は大山金井町と幸町にまたがった地域の町会です。都内有数の商店街ハッピーロード商店街や東武東上線大山駅が近く、とても住みやすい町です。大山旭町会は次のような地区分けとなっています。

組織概要

部名役割・仕事内容
会長総括
総務部庶務・記録
会計会費・支出入の会計
防災部防災訓練・防災パトロール
防火部防火訓練・パトロール実施
防犯部防犯対策企画・小学校下校時パトロール実施
交通部交通安全啓蒙活動実施
青少年部青少年の健全育成・スポーツ大会の実施等
文化青年部次世代の人材育成・レクリエーション企画
厚生部敬老の日にちなんだ企画立案
環境部地域の環境衛生・地域の一斉清掃
女性部熊野祭り等イベントの協力・女性部関連行事実施

町会のロゴマーク

大山旭町会の沿革概要

 私たちの大山旭町会は、昭和、平成、令和と長い歴史を繋いで今日に至っています。当町会の前身は、昭和8年4月に現在の大山旭・すみよし・中央自治会の一部を範囲とする地域を持って「板橋2丁目西原町会」として結成され、昭和14年4月「板橋2丁目西町会」と変更され、以後昭和21年まで続き、当時の物資統制による配給制度実施に伴い、町会は非常に大きな役目を果たしました。その間の町会は大熊豊吉氏・田村謙三氏・山口常吉氏・矢島幾太郎氏・福田由太郎氏・山岸金之助氏・坂井源太郎氏らが就任されていました。

 戦後の昭和22年(1947年)1月、占領軍(GHQ)は町会隣組の廃止を命じ、その結果、3月31日限りで解散し、それに代わって区では出張所を開設し、解散した町会は各地域に防犯協会として、自主的に結成された。

 昭和27年4月にサンフランシスコ平和条約が発効し、GHQの占領から脱し同年5月に日本国の主権が回復、町会結成禁止が解除された際、この協会が発展的に町会になったところが多かった。

 当町会もこの間防犯協会「板橋2丁目西睦会」として現在の地域になり、戦後混乱した中で種々活動して、昭和28年4月「大山旭町会」として発足した。

 昭和30年代以降、奇跡的な速度で経済が復興し、好景気と不景気を繰り返し、日本経済は順調に成長した。高層ビルが建ち、家の建て替え、新築、アパート等が増えた。新幹線と高速道路が完成、電化製品や電話が普及し、町の景観、生活様式が変わっていった。こうした中、当町会は、昭和58年に創立30周年記念式典を行った。

 平成2年度に毎年6月の第一日曜日を「町会の日」(アサヒタウンデー)と定め、まちの活性化と会員相互の親睦を深め、明るい町づくりを目指して全会員の参加を目的とした各種行事を行うことにした。

 平成22年度から実施月を改め、同年11月に大山旭町会落語会、24年3月に一時中断していたバスツアーを復活させ、両施策を「町会の日」の施策として毎年実施することとした。

 平成24年11月に町会各部の各種事業がスムースに取り運ぶと共に女性部の強化及び連携を図るため、「女性部の各部事業の協力、支援活動について」定めた。

 生活環境及び住居形態(マンション化)の変化や個人情報の保護のため町会加入勧奨が難しく町会員の減少傾向にあるなか、併せて役員の高齢化が進み正常な町会運営が困難になることを考慮して、平成30年4月中年層を対象に次世代の担い手を発掘するため会則の文化部を文化青年部に改め人材育成することにした。

 令和2年2月ごろから新型コロナウイルス感染症が世界的に多数発生し、爆発的な感染拡大が懸念され、4月7日緊急事態宣言が発出されたため、町会創立以来初めて令和2年度(68回)定期総会を書面による回覧方式で実施、議決した。

 同年9月、町会の活動や情報などを発信して町会員と相互交流を図るためホームページを開設した。

 ホームページのアドレスは https://oyamaasahi.jp である。

 大山旭町会になってから会長は次の各氏が就任した。

歴代会長
初代初海 章昭和28年4月昭和32年3月
第2代牧田 勝四郎昭和32年4月昭和44年3月
第3代石井 恒義昭和44年4月昭和48年3月
第4代鈴木 貞次昭和48年4月昭和52年3月
第5代吉田 薫昭和52年4月昭和58年3月
第6代大島 伸介昭和58年4月昭和60年9月
第7代渡辺 眞平昭和60年4月平成7年9月
第8代山岸 正治平成7年10月平成13年11月
第9代鈴木 張平平成13年12月平成23年3月
第10代石井 常夫平成23年4月平成31年3月
第11代鶴見 忠雄平成31年4月令和3年3月
第12代井上 邦明令和3年4月現在

大山旭町会周辺地図